信心過ぎて極楽通りこす

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2018年 01月 21日

リスボン

1755年のリスボン大地震で壊滅的被害を受けたが、先の大戦では中立を貫いたために18世紀以降の街並みがよく保温されているそうだ。

別名7つの丘の街リスボンは坂の多い街でトラムやケーブルカー、そしてエレベーターまである
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最近地下鉄の落書きが話題ですがこちらでは町中が落書きだらけ。
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エレベーターは1902年製。

低地バイシャ地区と高地シアード地区を結ぶ。
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適度に英語が通じて、旅行者に親切。どこに行ってもメシは旨いし酒は安い。

もっと早く行っとけばよかった。




















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by gokurakutojigoku | 2018-01-21 23:28 | 旅行 | Comments(2)
2018年 01月 19日

ヴァスコ・ダ・ガマ

「ベレンの塔」はバスコ・ダ・ガマのインド航路発見の偉業をたたえて16世紀に建てられた石造りの塔。

テージョ川の船の出入りを監視する目的の要塞である。

400年前!ポルトガルのイケイケ時代です。
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テージョ川岬に立つ「発見のモニュメント」と呼ばれる記念碑は、1960年にエンリケ航海王子の500回忌を記念して作られたもの。

高さ52mの巨大モニュメントの先端には、ヴァスコ・ダ・ガマをはじめとする32人の偉人像を従えて王子の像がと並んでいる。

ポルトガルでは英雄ですが侵略された側からみるとエイリアンの親玉か。
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発見のモニュメントの近くにはまるで地上絵のように世界地図が描かれていて、大航海時代にポルトガルが新しい国を発見したときの年号が記されています。
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Japão(ジャパゥン)は1541年に『発見』された・・・・・

アメリカ先住民の気持ちが身に染みました。

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ジェロニモス修道院


マヌエル1世が、ヴァスコ・ダ・ガマの海外遠征によって得た財産を費やして建設した修道院。

その豪華で贅沢な外観から、16世紀のポルトガルがいかに栄華を誇っていたかを感じることができます。

16世紀初めに建設が開始され、完成したのは19世紀。およそ300年の期間をかけて完成。
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主よ、彼らの罪を許したまえ。

















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by gokurakutojigoku | 2018-01-19 23:34 | 旅行 | Comments(8)
2018年 01月 14日

シントラ

リスボン近郊の、王族や貴族の避暑地として栄えた街。

シントラ宮殿、ペーナ宮殿等があり、街がまるごと世界遺産です。
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シントラ宮殿

シントラ宮殿は10世紀に作られましたが、現在のシントラ宮殿の建築様式は15世紀から16世紀に生まれたゴシック様式、

マヌエル様式、ムーア様式の混ざったものであるとされています。シントラ宮殿の特徴は、真っ白の外壁と2本の大きな塔で、

2本の塔は台所の換気口で33メートルもあります。宮殿内は他の宮殿と比べると装飾物がはるかに少ないですが、

天井は圧倒されるほどの装飾。大航海時代に黄金王と呼ばれたマヌエル一世が国力の強さを天井に誇示したかったと言われています。・・・[コピペです]
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巨大な台所。貴族の豪勢な食事が作られていた。
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内部から見た台所の換気口
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中庭
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ペーナ宮殿

1755年のリスボン地震が首都と周辺地域を荒廃させ、ペーナ修道院は廃墟と化した。しかし、ニコラウ・シャンテレネ作

とみなされる大理石と雪花石膏でできた壮麗な祭壇背後の棚を備えた礼拝堂は、無傷であった。

シントラの山頂に広がるこれらの残骸が、若いフェルナンドを驚愕させたのだった。1838年、カステロ・ドス・モウロス

(ムーア人の城、という意味。かつてのムーア人の城の廃墟)と他いくつかのキンタス(別邸)のすぐ隣である旧修道院を

フェルナンドは手に入れ、周辺を全て囲いで囲んだ。フェルナンドは、空想的な夢を持っていた。古い修道院を再建し、

シントラ滞在時にポルトガル王家が滞在する夏の離宮となる新しい部分を付け加えるのだと。ロマン主義的な再建命令が、

陸軍中将であり採掘技師でもあったヴィルヘルム・ルートヴィヒ・フォン・エシュヴェーケに下された。宮殿全体はほぼ、

巨大な岩々の上に壮大に立つ。フェルナンドは、異国風の豊富な種類の樹木を植えてイギリス式公園をつくることを考えていた。

このようにすると、公園とペーナ宮は魅惑的な王子と王女が登場する本の世界のようになる。宮殿のとっぴな様式は、

バイエルン王ルートヴィヒⅡ世が建てたノイシュヴァンシュタイン城を見る者に思い起こさせる(ペーナ宮殿が建てられて

から30年後に、このバイエルンの城は建設された)。この違う様式の模倣と組み合わせは成功したといえず、

マヌエル様式の窓のとなりにムーア風の扉があるといった具合に、しばしば不思議なコントラストを描く。・・・[コピペです]
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お菓子の型枠
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天正遣欧少年使節の4人は1584年シントラ宮殿を訪れている。

初めてヨーロッパを見た日本人である。

彼らの眼にはどのように映ったのだろう。











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by gokurakutojigoku | 2018-01-14 23:17 | 旅行 | Comments(7)
2018年 01月 10日

西経9度30分

ロカ岬。

ユーラシア大陸最西端の岬である。

ポルトガルの詩人ルイス・デ・カモンイスが詠った「ここに地終わり海始まる」Onde a terra acaba e o mar começa)を刻んだ石碑が立っている。
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かつてこの地から東へ西へ漕ぎ出していった。大航海時代の始まりである。



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by gokurakutojigoku | 2018-01-10 16:27 | 旅行 | Comments(14)